及川公生の海外出張録音印象記
及川公生(フリーランス)
◆その1
私から、ご当地(外国人)のミクサーに変わったとたんに、「サウンドがメチャメチャ良くなっている! こんなのって、ありっ!」と、コンソールの椅子から立ち上がつて、ソファーに腰を下ろしながら、その不思議さに荘然とする。
ミュージシャンは、やはり俺を馬鹿にしていたか、と思いつつも冷静にその分析に取り掛かる。フェーダを見ながら、バランスが変わったか、EQを変えたか、と青い目のミクサーの手元を見つめる。疑心暗鬼とはこのことだ。しかし、一向に変わったところは見当らない。やっぱり、ミュージシャンの出す音が違ったか!と怒り心頭に達するが、スタジオの中は、そんなことは全く関係がないといった様子。
同じような体験はないかと、この不思議さを、別のエンジニアにぶっつけてみた。ニューヨークで活躍する、日本人エンジニア内藤克彦氏。彼はデビット・ベイカーのアシスタントもしている。すると「そうなんですよ!」やっぱり私だけの思い過しではなかった。
「ベイカーがコンソールに座る前に、一応の事はやっておくんですが、私が座っている時と、ベイカーが座った時と、サウンドが違うんですよ。ベイカーから私に変わっても、サウンドが違うんですね」という。「客観的な立場になるからそう感じるのかなあ」と、話してはみるものの、この「不思議」に答えはない。
SRでも同様の経験がある。ライブ・アンダー・ザ・スカイで、青い目にバトンタッチしたとたんに、がぜん音が輝いた。周りのスタッフも、「なんだか音が違いますね!」と…。
海外のエンジニアとミュージシャンとの信頼関係、これには凄いものを感じる。決してナアナアではなく、音楽を創る、録音する上で、おたがいの人格と立場を認め合っている。時に和気あいあい、時にはつかみ合いの喧嘩になることも…。こういう現場は素晴らしい。もちろん勝手は絶対に許されない。ものすごくフェアな雰囲気。羨ましい!
とくに、ニューヨークはいい。ミュージシャンはエンジニアには絶対、無理難題をふっかけない。「あのさあ! 俺たちのサウンドって、こんなのじゃあねえーんだよっ」とか「ベースの音、もちょっと太くドーンとくるようにならないのかなあ」とか、まるでエンジニアが悪者のような雰囲気になってしまうどこかのスタジオでの出来事とは大違い。
「どれどれ、今のテストレコーディングを聞こうか」と、ミュージシャンがコンソールの前に陣取る。その時、エンジニアは後のソファーにすわってコーヒーを飲んでいる。私が「ベイカーさん、コーヒーなんか飲んでいていいのっ?」と聞くと、「ミクシングは、俺の仕事だから仕事中はコンソールに座っていなければならないけれども、今はミュージシャンの時間だからね」
確かに、プレイバックを聞いている時間には、ミクサーも結果を聞いているのだが、同時にこれはミュージシャンが、録音した音楽の結果を聞いている時間でもある。ミュージシャンは、プレイバックを聞きながら、音楽のことだけ話す。「ピアノ! すごいテンションで、いかしているよっ!」「ドラムが、気分良く引っ張ってくれているからさ」
ここには、エンジニアの存在はない。エンジニアは、第二のミュージシャンだから、なんておだてられて、その気になっているけれどこれは大違い!
プレイバックを聞き終わって、ミュージシャンも緊張が解けたか、コーヒーブレイクとなる。今度はミュージシャンが「デビッ! シンバルは、もうちょっとカチッと歯切れが欲しいんだが、マイクロホンの方でどうにかなるか? それとも、シンバルを変えようか?」、そこでデビットが答える。「マイクロホンを変えてみるけど、だめだったら、シンバルをかえてみようか」
この会話を聞いていて、信頼関係というものをひしひしと感じてしまった。いつも私が経験しているミュージシャンの不平不満、サウンドに対するゴタゴタがない。これって何だろう。ミクシングされた音は、エンジニアだけで造られているものではない。プロデューサー、ディレクターだって立ち合っている。それぞれの役割を踏まえたプロフェッショナルが、造り上げている音である。ミュージシャンもそこの所がよくわかっていて、造り上げられた録音の音については、俺たちには関係ないといった様子。「俺達は、完壁なサウンドをつくる!」これがプロデューサーに対する礼儀と心得ているようだ。
ニューヨークでの昼飯は、ハンバーガーと相場が決まっている。キース・ジャレットがスタジオの隅っこで私達と同じハンバーガーをパクついている姿をみると、とてもあの(!)キース・ジャレットというイメージが浮かばない。私はやきそばのテイクアウトを見つけた。これをランチタイムに広げたら「どれどれ」と、スティーブ・スワローとポール・モチアンが上手に箸を使って手を出した。エンジニアのデビットの好物は、うどんと天丼、そしてビールは一番搾り。天丼は巨大海老が二匹ドカーンと乗っていて、たったの7ドル。アシスタントをしてくれたエンジニアは、巨大ハンバーガーとホームサイズとも思えるコーラ、そしてデザートにはチョコレート・ケーキとチョコレート。これだから、あの体格になるんだな、と納得。
ランチタイムはきっかり1時間。スタジオの電源が再度オンされて本番。
◆その2
「度胸があるよなぁ!」「なんで、日本人がニューヨークに?」背中にヒシヒシとエンジニアたちの冷たい視線を感じる…。と、思っているのは私だけか?
スタジオに到着。まずは、フレンドリーな出迎えを受ける。しかしすぐに「お手並み拝見」とばかりに応酬がはじまる。
「さて、君のプランニングを聞かせてもらおうか」早速、技術部長がこう切り出してきた。さっと紙とボールペンがわたされる。関係者一同、私の手元を覗き込む。
私はSEASの表記法にしたがって「ピアノはスタジオのど真ん中、パーカッションは…」と、楽器類を書き込み、マイクロホンのプランを示す。
ここは、伝統のRCAスタジオ。そこで、私は数々の歴史的録音が染みついた古いスタジオの響きをぜひ採り入れたいと「アンビエンス」を提案。アンビエンスについては「私には、このスタジオでの経験がないから、アシスタントの助けが欲しいんだが…」と依頼。自分でやりたいことと、助けて欲しいこと。このあたりの采配が良かったのか、取り囲んだエンジニアたちの受けは良かった。「アンビエンスは俺にまかせてくれ!いいポジションを見つけるよ!」
それまでですごいプレッシャーを感じていた私も、そこでようやく気持ちがほぐれる。
つづいて、SEAS表記法を見ながら楽器とマイクロホンのセッティング。これら全ては3人のスタジオのエンジニアによって行われる。私はただ見ているだけ。
実はここが日本と違うところで、自分が手を出してはいけない。でも、やっぱりちょっと気になる…。そこでおそるおそる「あの…マイクロホンの向きを調整したいんだけど…。」「ああ、それはおまえの仕事」
ホッ!
さていよいよマイクロホンのテスト。「あれ?このフェーダーに音が来ないぞ!」私は、かたわらで何かと手伝ってくれているビル・レイシーに告げた。彼はコンソールのチャンネルをチェンジして確かに音が来ないことを確認する。ところが、ここからが日本と違う。
ビルは、スタジオの事務室に電話した。すると、マイクロホン担当のエンジニアがやって来てマイクロホンをチェンジする。でも、まだ音は来ない。ビルがまた電話をする。今度はケーブル担当のエンジニアが来る。エンジニアがケーブルを取り替える。「やった、音が来た!」ほっとする私。
ふと見ると、ビルは「俺のテリトリーじゃなかったもんね!」と全く気にしてなかった様子。
編集室でも同じような事に遭遇した。
編集が終わって、「カセットとDATのコピーが欲しいんだけど」と依頼すると、おお、またしても電話!人の良さそうなおっさんが、ガラガラとラックを押して機材を編集室に運び込んだ。しかし、おっさんはケーブルをパッチングして標準信号を入れて、機材に異常の無いことだけを確認すると「あとはよろしくなっ!」とバイバイ。
スタジオといい編集室といい、確かに話には聞いていたけれど、ここまで仕事が細分化され、分担が分かれているなんて。日本では器用になんでもかんでもやってしまうことがあたりまえで、それができると「あいつ、良く働くよなぁ」と言われるけれど、アメリカでこれをやると「バッカ野郎!俺の仕事に手をだすんじゃねぇ!」てなことになる。しかし、よくよく考えてみると、これは私にとってはすごく気楽な話。
マンハッタンは電波障害に悩まされる街だ。しかし、ノイズが乗っていたとしても、ここでは「そいつは、俺の仕事じゃないね!」と、知らんふりしても誰からもとがめられない。もちろん、ミュージシャン達もじっと改善されるのを待っている。これが日本だとそうはいかない。「ノイズがのってるぞ!」と、ディレクターから言われ、周囲の「さあ、なんとかしなよ!」というプレッシャーの中で、ミクサーはあたふたしなければならない。そういう意味ではこういう制度も悪くない。
ディレクターがぽつんと言った。「アメリカでは、個人個人の責任で作品ができあがっているってことがハッキリしているからね。だから、クレジットにうるさい。例えば、映画なんかが良い例で、どんな些細な仕事でもきちんとクレジットされているだろ」そういえば、ハリウッド映画なんかでも、あかりがついてしまったり、スクリーンのカーテンが閉まったりしてしまうからほとんどのお客さんは席を立ってしまうけれど、長々とクレジットが出でいたなぁ。
この一件があってから、私はクレジットの最後まで見ることにしている。
さてさて、ここでのアシスタントの分業作業については実際、驚いてしまったが、自分たちの仕事に誇りと自信を持っている人々と出会った素晴らしい体験でもあった。
しかし、こんな事もある。
ある時、ジム・アンダーソン(NYの最も多忙なエンジニア)の録音現場で、信じられないような光景に出くわした。アシスタントの仕事ぶりがなっちゃいないのだ。ジムが「そのマイクロホンをサックスのところに持っていってくれ!」と、アシスタントに指示をする。しかし、アシスタントは「本当に」サックスのところにマイクロホンを持っていくだけ!戻ってくるとボーっとしている。私は、びっくりして声も出なかった。日本だったら「バッカ野郎!マイクを楽器に対応させてセットしておけよ!」とまでは言わないが、常識としてそれくらいはやるはずだ。しかし、彼の場合はたとえジムが汗をかきかき仕事をしていても「俺は何にも言われてないもんね」と、どこ吹く風。
つづいて録音。日本だとその雰囲気を察知して、アシスタントの誰かが必ずテープレコーダをスタートしてくれるけれども、ここでは「マシンをスタートさせて下さい!」と指示しない限り、テープが回らない。一体どうなってるの?
知り合いのエンジニアが「彼らには、夢がないのさ!人材派遣会社も、スタジオも今、人を育てようとはしていないからね」と言う。うーん。ニューヨークのサクセスストーリーは憧れだったんだけどなぁ…。
話題をかえよう。
ご存じの通り、ニューヨークではフリーランスが当たり前。スタジオのハウスエンジニアももちろん活躍しているけれど、私にはフリーランスの活躍ぶりが実に印象的だった。
ある時私が自分の仕事を終えてボーっとしていると、スタジオになにやら荷物が到着。「なんだい?これは」すると「ああ、次のセッションのエンジニアの荷物だよ!」とのこと。トランクケースから出てきたものはなんと、ニアーフィールド・モニター、A/D,D/Aコンバータ、マイク・プリアンプ、そしてマイクロホン。それぞれ、こだわりの逸品が入っていた。「これを見ると、誰が来るのかが分かるんだよ!」
そのとき、これまでどうして「おまえのモニタ・スピーカは何だ?マイク・プリアンプは?リミッターコンプレッサーは?A/D,D/Aコンバータは?」と、スタッフからしつこく聞かれていたのかがようやく分かった。HD-1が来ればジム・アンダーソン。ARが来ればデビット・ベイカー。そういった具合に分かってしまうということか!
ちなみに、こうした「こだわりの」フリーランス・エンジニアに高く支持されていたのが、ソニーとサンケンのマイクロホン。あなたは何を使ってますか?ノイマンとかショップスとか…。
はは、「愛国心」はどこにいっちゃったの?
◆その3
ところ変われば…
ニューヨーク修行。現場の実状の違いに翻弄されながらも、何とかこなす。その合間、ニューヨークの超多忙ジャズ録音エンジニア、デビット・ベイカーさんの現場を覗いた。まずは顔見知りということもあり、やすやすとスタジオに潜入。
ここで、ベイカーさんのアシスタントをしている内藤氏に会う。氏は、バークレー音楽大学の録音課程を卒業後、ボストンで音の仕事をしていたが、意を決してニューヨークに進出。現在は専属ではないが、積極的にベイカーさんの仕事に参加しているとのこと。
さて、スタジオでは二人のセッティングの様子を見学。デビットが「ピアノはそのマイクロホンもいいが、今日はこれで行こう」と指示。セッティングでは「それもいいが、今日はもっとオンにしよう!」と声を掛ける。その状況には親分のいうことに子分が従うという雰囲気がまったくなく、ツーカーという感じで、それぞれテキパキと仕事をこなしていた。BMG/RCAスタジオのアシスタントと苦戦をしていた私は、「この関係っていいなあ!」と思わず独り言。
さて、録音も順調。デビットの機嫌のいいところで、ジャズ録音について色々とうかがってみた。
及川(以下O):ベイカーさん、僕はジャズ録音の基本的な部分で迷いがあるのですが。あなたの考えをぜひ聞かせて下さい。ジャズ録音といえば、ルディー・バン・ゲルダーを無視することができないですよね。彼の独特のバランスは日本でも信奉者が多く、「あれでなくてはジャズじゃない」ともいわれているんですが…。
デビット(以下D):確かにそうですね。私も素晴らしいと思います。特にホーンは魅力的ですね。
O:あのホーンのサウンドに、日本のジャズファンは麻薬にでもやられたようにしびれてしまうんですよ。
D:もちろんそういうこともあると思いますよ。しかし実は、レコードを聴くという行為は、ある意味で条件反射みたいなものですから、それになじんでしまうと聞き慣れない録音を聞いたときに「これは良いはずがない」と思いこんでしまう。という点に気をつけなくてはなりません。
O:それは言えていますね。あるサウンドになじんでしまうというのは、落とし穴でもあるわけですね。
D:その通りです。ルディーの録音は間違いなく素晴らしいものですが、唯一、この人だけが最高というエンジニアはどこにも存在しないと思いますよ。ただ、彼はジャズの全盛期であった50〜60年代の録音を一手に引き受けて、ジャズ録音の仕掛人となったという大変ラッキーな状況にあったということは言えますね。
O:それが「ジャズならバンゲルダー」だと言われるゆえんですね。
D:さて、その後「ジャズならバンゲルダー」に続く人といえば…。そうですね。ジム・アンダーソンを挙げる人もいるでしょうし、あるいは私の名前を挙げて下さる人もいるかもしれません。しかし、ルディーの膨大な作品はおそらく将来も残っていくに違いないと思います。
O:ところでバルゲンダーの録音ですが、さっきあなたがおっしゃったように、彼のホーンは酔わせますが、実はピアノは好きではないのですが…。
D:そうですね。確かにピアノについては異論がありますね。個性的ではありますが、全てがいいとは思っていません。しかし、彼の音のとらえ方、解釈の仕方は、ジャズ録音では間違いなく突出した存在であるといえるでしょう。また、仕事のノウハウについての秘密主義も徹底しています。他のエンジニア教えるということもありません。
O:あなたは、バルゲンダーの録音のどこを認めますか?
D:あの個性的なサウンドバランスでしょうね。一般的にはジャズ録音では自然な音場とか、ステレオ感とかを重視していますが、バルゲンダーにはそれがないですね。ジャズファンも、音場とかステレオ感よりも本当はバランスを大切にすべきではないでしょうか。過去にこだわっていては前に進めませんよ!
O:痛いところですね。ところでベイカーさんにとって、スタンダードなジャズ録音は何ですか?
D:マイルスの「カインド・オブ・ブルー」のステレオバージョンですね。
O:ところで、今日の録音では、ジャック・ディジョネットのドラムスをブースに入れていて「ベイカーさんらしくないな」と思ったのですが…。
D:ピアノトリオというのは、3人が対等の立場ですから普通ならオープンに3人がプレイしている雰囲気でいきたいのですか、今日は、なんたってジャック・ディジョネットですからね。ドラムばかりが目立ってしまう。それだけでなく、ジャックのパワフルなプレイに触発されて、リッチー・バイラークもデイブ・ホランドも、どんな動きになるか予想できない。そこでドラムはセパレートしてミキシングで立体感をつくろうとしたのです。
O:ベイカーさん。これはちょっと言いにくいことなんですが、「デビットはすぐ切れる!」という話をミュージシャン達から聞いています。実は、あなたの短気は私達の仲間内でも有名なんですが、それが録音の仕事にどのように影響を与えているのでしょうか。
D :おっしゃるとおりです。私は、非常に感情のたかぶりが激しいタイプで、当然、そのエモーションがサウンドにも反映されていますよ。そういうこともあってか、とんがったハードなサウンドの仕事が多いですね。
O :あなたが一緒に仕事をしてみたいミュージシャンは誰ですか?
D :日本人なら山下洋輔、富樫雅彦ですね。「彼とは仕事をしたくない」というエンジニアーは多いと思いますが、私は山下洋輔と仕事をするのが大好きなんですよ。それから武満徹。そう、アルバン・ベルクのの作品を録音するのが夢なんですよ。彼らのサウンドはメインストリームともポピュラーとも違ったところにあるんですね。
O:ジム・アンダーソンさんとは全く異なった方向性なんですね。
D:彼は、日本人が一般的に思い描いているジャズにおいてはパーフェクトなエンジニアと言えるでしょうね。日本ではエンジニアはそれほど音楽の内容に入り込んでいくという役割が与えられていないようですね。効率的に仕事を進めていく。そうした意味で、ジム・アンダーソンのようなタイプのエンジニアが歓迎されているようですね。
O:一方で「ちょっと面倒だぞ!」というのがベイカーさんの出番ですね。ところで、機材に対するこだわりはありますか。
D:基本的には私は録音機材を音楽の種類によって変えるべきだと思っています。例えばマイクロホンの選択で、AKG-C12とノイマンM-49のどちらを選んだとしても、結果的にはどちらもある程度満足できますね。どちらも似通った性質ですから。むしろ、マイクロホンの種類というよりも、サウンドに応じたマイクロホンを選ぶことのほうが大切なのです。ですから私には「どうしてもこれだ!と決めつけているものはありません。
O:エンジニアによっては機材を限定して「これでなくてはダメだ!」という人もいますね。
D:私は「どういった機材で録音したか」を重視するオーディオ・ファイル向けの録音をする必要性を感じていません。例えば、スタジオで古いニーブのミキシングコンソールに出会うと非常に嬉しいですね。逆に最新のコンソールのサウンドは好きではありません。
O:音質重視のテクニカル・インフォメーションを掲載してアピールしているレーベルもありますが…。
D:こうしたレーベルのリスナーは、インフォメーションを読んで一人納得した気分になっているのでしょうが、私にはそれらが必ずしも良いサウンドとは思えません。はっきり言って私はそういったレーベルの音が好きではありません。
O:ところでベイカーさんの録音の代表作を挙げるとしたら何ですか?
D:うーん。これは大変難しい質問ですね。なかなか自分で満足するものに到達できませんから。強いて挙げれば「ユー・ウォント・フォーゲット・ミー/シャーリー・ホーン」とか、フランスのレーベルで「ザ・ライブ・トリオ/ポール・ブレイ, スティーブ・スワロー, ジミー・ジェフリー」とかですね。
O:なるほど。ところでベイカーさん。そろそろランチにしませんか。
D:ランチなら「メンチャンコ亭のうどん」か「銚子の天丼」*がいいな。ビールはもちろん「一番絞り!」
*:どちらも非常にリーズナブルな日本料理店。10ドルも出せば、超豪華ランチです。
◆その4
ルディー・バン・ゲルダー調のミキシングをして、テスト録音を聴いてもらう。「オイカワ!楽器がバラバラでかみ合っていないって、彼らが言っているよ」ディレクターが私に忠告。
「音楽が融け合っていない? 」演奏者たちの言っている意味を理解するのに、少々時間がかかった。ここは、フランス、パリのスタジオ。アメリカではなくヨーロッパなのだ!
ここでは、ルディー・バン・ゲルダーは通用しない。所変われば品変わる?そういえば、ベースの演奏はかなり控えめで、ブンブンうならす感じではなかったな。ピアノにマイクロホンを近付けていたら、変な顔をしたな…。
ドラムスの英国人に「マイクロホンは少なく、4本でいくよっ!」と、声をかけると「それがベスト」という返事。私のいつのものやり方で、ドラムスやベースを遮音ついたてで仕切らないで録音すると、えらく受けが良かった。どうやらフランスでは、作為的に凸凹を作るバランスがお好みではないらしい。「バン・ゲルダーのサウンド」があこがれの私は戸惑った。「すべては自然に、アコースティックな空間のバランスを重視して、録音テクニックの作為は控えめに」してもう一度聴いてもらう。
「ウイウイッ!」
フランスでは、録音の問題点は直接エンジニアに言わない。日本のように、ミュージシャンが直接エンジニアに「あのさあ…」なんて話し掛ける事はない。エンジニアには、必ずディレクターかプロデューサーを通して話がとどく。たとえミュージシャンがバランスを気に入らなかったとしても、ディレクターがそのようにしたのかもしれないし、プロデューサーがエンジニアに要求したのかもしれないからだ。したがって、エンジニアに問題があればディレクターが「それはエンジニアの問題だから出来るかどうかディスカッションするよ!」ということになる。
「あれっ?、ちよっとフェードイン気味だね!ちゃんと演奏してるんだけどなあ…。」ニューヨークから来ている、スコット・ロビンソン(B. sax)がボソボソとディレクターに言った。「エンジニアはちゃんとやっていたよ」ディレクターが答える。「そう。じゃあもう一回やろう!」このスマートな進行には感謝。パリの録音は楽だ。ディレクターがしっかりしていれば、このように物事がスムーズ・スマートに進む。ディレクターがしっかり技術も把握しているのだ。ニューヨークでも似たようなケースがあったが、パリは特に個人主義が発達しているお国柄だから、それぞれのパートがとくにきちんとしているのだろう。
さて、ここでちょっと脱線。
交差点で車が衝突!
「ごめんなさい!」を言ったら負け!は御存じの通り。こっちが悪くても、「お前がおれの前を横切ったから、ぶつかったんだ!」これがパリ。地下鉄にはアナウンスが無い。「どうして?」「私がルーブルで降りる訳でもないのに、ルーブル、ルーブル、なんて余計なお世話よ!」うーん。相手に奉仕するなんて気持ちが全然ない。(ただし、社会的なボランティア活動は別。どうぞ誤解のないように)デパートでも、「いらっしゃいませ」とか「ニコニコ作戦」なんてない。「私は今、おしゃべりを楽しんでいるの。じゃましないで!」とばかりに店員はオシャベリ…。
スタジオに戻ろう。
パリのサンジェルマン・デ・プレにあるスタジオ・アコースティー。正直いって古いスタジオ。
ここはパリ発のジャズの名盤を数多く輩出しているスタジオ、と言うよりこのスタジオの専属ともいえるエンジニア、Alain Cluzeauの存在が大きい。彼と、このスタジオの組合せがパリ発のジャズのすべてと言っていいほどの活躍ぶり。ミッシェル・ルグラン、アンドレ・プレビン、バルネ・ウィラン、名を聴いただけで、ヨーロッパ! パリ版ルディー・バン・ゲルダーである。
彼のミキシングには凸凹がない。紳士的で、自然なバランスのパリの音。会ってみると、さすが!プライベートな質問には「男性に対しても年齢を聴くのは失礼な事だよ」とやんわりとやられ、趣味は?と聴けば「家庭で子供と遊ぶのがとても楽しい」と、かわされる。どこまでも、東洋人に本音を見せないパリジャンであった。ミュージシャンとも顔が広いらしく、スタジオに入るミュージシャンというミュージシャンが、「サ・バアッ」といいながら通りすぎる。
ミクシング・コンソールはAMEK/MOZART。スピーカーはDYNAUDIOで型番は??? 東京ではあまりお目にはかからないシステムである。SONY3348もある事はあるが、あまり回さないと言うのもいかにもパリらしい。要するに、目を見張る!と言うものはない。
メンテナンスに問題があるのかコンソールもトラブル続きだった。「ガリガリッ!」である。スイッチング時も、録音中でもガリガリッ!
しかし、サウンドは抜群。音に厚みがあってあたたかい音がする。最近の「最新超売れっ子ミキシングコンソール」の音の、あの薄っぺらさと比べたら、少々のガリも我慢できる。「東京のスタジオと比べたら貧弱でしょう」とアシスタントのレーヌ・ベンサイ嬢は恐縮していたが、「なになに、サウンドが命よ!」と答えると「スタジオ・アコースティーはそれが特徴でね」と苦笑い。
スタジオにはブースがない。壁面にも少々の工夫があるものの、日本のスタジオのように、いかにも音響デザインというモノは見られない。遮音ついたても日本のスタジオの初期にあったようなもの。床は少々ヤワで…うーん。という状態。つまり「いい所ないじゃない!」と言われてしまいそうなスタジオだが…実際、音がいい!
ジャズの私にとって、これほどありがたいことはなかった。楽器の音に潤いがある。デッドとは言え、響きにあたたかさがある。音が死んでいない。だからオフマイクを生かしたマイクアレンジが出来る。
おかげで結果的にフランスのミュージシャンに受けいれられるミクシングが出来た。パリのミュージャンに受け入れられるには、響きのある空間がイメージ出来るかどうかが大切で、楽器のパランスにアコースティックな自然さがある。ニューヨークのようなミキシングで創り上げる誇大表現は好まれない。また、根本的に違っているのが高音部につややかさが求められるという点だ。
私のもう一つの仕事、オーディオ評論界ではよく「ヨーロッパ・トーン」が話題にされるが、このスタジオでそれを実体験した。アシスタントのレーヌ嬢。「オイカワ、EQした方がいい!12khzと8khzを、ちよっとアップしよう」モニタースピーカーがDYNAUDIOであったり、KEFであったり、と高音部に独特のキャラクターを持つスピーカーが好まれている事でも、「ヨーロッパの音」が理解できる。
一方「マイクロホンは?」と言うと、高音部にキャラクターのあるショップスとかAKGも確かにあるが、なんと、真空管のコンデンサーマイク、M−49、269C、67、47、がゴロゴロ!これがスタンドにセットされたまま、スタジオのすみっこに置いてある。つまりは、頻繁に使用するから、スタンドにセットしたままとも言えるし、これを取り付けたり外したりしていると、コネクターが壊れて補給が出来なくなるから(!)とも考えられる。
古色蒼然としたパリの町並みにとけこむスタジオの外観といい、真空管のマイク群といい、その融合と、おしゃれ感覚のアコースティック・サウンド、高音部のキャラクター。ニューヨークとは全く違った環境にほうりこまれた私だった。
◆その5
さて、パリ録音から、コペンハーゲンへと移動するのだが、ちょっと一休み。ブースを使わず遮音衝立も最小限だけを使用。つまりはスタジオライブの様にスタッフが一同に会して、セエーノッ! でやってしまうというジャズには最も適した録音を、仕込み図を交えて種明かし…。
その話に移る前に言っておきたい事。ニューヨークもパリも、これまでの写真で大体の想像はついたと思われるが、その通り! 設備が旧い! スタジオの空間も古色蒼然。スタジオを見学して、その最先端を知りたかったら、東京の大手レコード会社のスタジオか、スタジオ業の音楽スタジオを見学した方がはるかにいい。そこは音響工学に基づいた設計と施工の殿堂。最新のミキシングコンソール、エフェクター類が、これでもか、これでもか、と言うくらい揃っている。
ニューヨークでも、パリでも、「オイカワの国は、何でも最新鋭なんだろう! 羨ましいよ。ここはお金がないからね! ところで、どういう音楽の録音をしてるんだいっ?」っとくる。ガガガッガーン! さらに、「全てデジタル録音なのかい? どうしてデジタルの必要があるの?」ウウウッ!
ボロ臭いスタジオとアナログ録音で、世界を市場とする本物の音楽(私のテリトリーではジャズ)が生れているのは真実…。「ハードじゃなくてソフトだよっ!」を実感する。研修旅行とか見学とかを目的に、世界の「あの」スター達が録音したスタジオなんだからと覗くと、きっとガッカリするよ。はは。
あっ! 主題にもどそう。ジャケットタイトルはR&B/Carmen。どうしてレッド&ブラックなのかは知らないが、メインは、二人のビブラホーン奏者。それを支えるドラムとベースとピアノが加わる。さて、スタジオの仕込み図で分かる通り、ここでの仕掛けのメインはビブラホーンのマイクアレンジメント。クラシック録音の場合、ビブラホーンがメインで活躍する事はない、ふつうは音像をはっきりさせる意味と定位をしっかりさせる意味で、補助マイクを設置する程度の考え方で、ビブラホーンには一本のマイクロホンをセットする。これは常識。しかし、ジャズの場合はメインとして大活躍。そして様々なテクニックがある。一本のマイクロホンで対処するなんて事はまずない。
パリ。アコースティー・スタジオにのり込んで、楽器の配置を決める。この楽器配置が、後々の録音の成否に大きくかかわる事は誰でも経験する事である。
さっそく、アシスタントのパリジェンヌ、レーヌ・ベンサイ嬢が「オイカワ、楽器の配置は?」ときた。そして「マイクアレンジのプランは?」この彼女、実はミッシェル・ルグランとかバルネ・ウイラン等々フランス発の名立たるミュージシャンを手懸けているすごい人。一瞬、ひるんでしまったが、「俺には俺のやり方がある!」ことを見せなくてはと、スタジオを見回す。まずはこのスタジオがいい雰囲気の空間を作っている事と、音の響きが死んでいない事を確かめて、「いいスタジオだねっ!」と誉める。(註:どういうわけか楽器の響きに潤いを感じない、マイクロホンに空間の響きを感じない、そういうスタジオがある)。
今回のプロデューサーの趣旨は、『二台のビブラホーンがセパレートするのではなく、かといって二人が重なり合うわけでもない、そういう音楽空間を作りたい』というもの。「そこで相談だけど、まずはスタジオの中心となる位置にビブラホーンをドン! と据えたいのだけど…。」彼女「ダ・コウー」。
さて、その二人のビブラホーンをどの様に配置するか、これが一番の悩み。ステージの様に二人が並列するというのはジャズの空間ではないし、お互いの意思の疎通がむずかしい、なによりこれじゃ板前が二人並んでお互いに違う料理を作っている様な光景だしね。
過去に二人のビブラホーンの録音を聞いた事がある。著名ミュージシャン二人とリズムセクションを行っているものだが、この時はお互いに向き合う形で配置されていた。しかし、これは疑問がある。鍵盤の配列もお互いに逆向きだし、音のカブリを考えると、「これはおかしい!」と思う。
そこで、ハの字に二つのビブラホーンを置き、その空間の響きをステレオのワンポイントで狙ってみた。定位の安定感を高める目的とビブラホーンの直接音を狙って、ここにそれぞれマイクロホンを一本置く。このアイデア、レーヌ嬢から、「どうする?」と聞かれてからわずか数秒。「ここは、一発いい所を見せなくては!」と、過去の経験、頭の中にある記憶、分析、回路のページをパタパタと捲る。「ねっ! いいアイデアだと思うけど…。」すると彼女は「ダ・コウー、ウイウイッ!」どうやら彼女にも狙いが分かってもらえたようだ。その証拠にマイクアレンジをテキパキと手伝ってくれたし、そのマイクロホンも、私の望んだ位置に設置された。
これらは、うまくいった。
ステレオの音場の中、セパレートすることなく、二人が掛け合っている自然な空間が出来上がった。ここに仕掛けたB&K4009は無指向性でスタジオのアンビエンス用マイクロホンとしても動作している。ドラムスの位置から見て、ドラムスのカブリが不自然になりそうだが、これはドラムスの直接音がバランスとして大きくなっているので問題ない。
さて、カブリも音楽のうち! これが私のポリシーである。アンビエンスも積極的に使うが、カブリも積極的に使う。ピアノもドラムスもブースには絶対に入れない。これを貫いて来たおかげで、何にもないニューヨークやパリのスタジオに放りこまれても困らなかった。誤解のないように言っておくが、ブースの完備したスタジオもあるし、最新鋭コンソールの設備をもったスタジオもある。しかし何故か、ジャズの精霊が棲みついている名門スタジオは、ブースといっても仮設のようなものだった。
ジャズにはハイテクは似合わない! これが海外遠征ジャズ録音で得た自信だ。もちろんミュージシャンもそれを望んでいない。ドラムスはブースに入れなきゃあ! なんて声はどこからも挙がらない。「あれっ? 俺のマイク1本なのっ!」なんて声もない。むしろ「マイクロホン1本で行くよっ!」と提案すると、「それはベスト! 君の満足出来るサウンドを届けてやるよ!」悪乗りして、マイクロホンは要らないかも! と言うと、「それは困る! 君も冗談がきつい。」もう、すっかりご機嫌なのだ。アシスタントのレーヌ嬢までが「当然じゃあないのっ!」と言ってしまうような雰囲気だから、ヨーロッパのジャズ録音と私のジャズ録音には少しも違いはないと言う事か。
一方、日本だと、まずやれブース、遮音板はとくる。マイクを一杯立てると、「おっ? 新手の録音法かい」なんて妙なところで喜ばれる。ひどいのになると、プレイバックで、「もう少しベースを上げて聞かせて!」とくる。これはマルチトラック録音ではないので、それは出来ない! と言っても、まだ不思議そうな顔。日本は、ハイテク機器を多用することが「いい録音」と勘違いしてしまっているのだろうか…。パリでの録音は、一発録りだよ! を少しも不思議に感じないし、スタジオ・ライブの様な雰囲気で録音をしても少しも文句はでない。ここでは逆にヨーロッパ録音の素性を偵察した気分になってしまった。
もう一つ、ブースを使わない極め付けの仕込み図を披露しよう。ボーカル二人とパーカッション、ベース、ピアノの編成。常識から言ってボーカルは当然ブースなのだが、このスタジオにはブースがない。オープンの状態で、カブリもなく鮮明にボーカルが録れるか心配は頂点に達したが、全くの取越苦労、いい雰囲気で仕事は進んだ。ただ、一つ言える事は、ボーカルの巧さ。これがあったから出来た事。ジャズ録音は『声量があって結果的にカブリがない』これにつきる。ジャケット・タイトルはノーマモナ/Freedom jazz dance. ノーマモナは、美人ボーカリスト、ノーマさんとモナさんのこと。
◆その6
パリ録音を終えて、コペンハーゲンに、向かう。目的は、ニールス・ヘニング・ペデルセンのベースにある。日本人の女性フルーティストとのジョイントだが、もっと凄いアーティストが加わる。マイルスのバンドで活躍したパーカッションのマリリン・マズールだ。
コペンハーゲンは、ご存じ人魚の像が有名だが私は、陶器に興味があるので、ロイヤル・コペンハーゲンに最も興味がある。街の美しさは北欧と云う語感にピッタリ。アンデルセンの大きな銅像が歩道を邪魔しているが、ここでは邪魔とは言わないのだろう。赤茶色のレンガ造りの建物の雰囲気は、どう見てもレゴの世界だ。公共の建物の屋上には国旗と王室の旗が掲げられ、テーマパークの様相だ。
その美しい街を出て酪農の世界にはいる。ペデルセンの自宅がリハーサルスタジオという事でタクシーを飛ばす。タクシーはピタリとペデルセン宅の玄関に。
玄関から洒落た螺旋階段があり、まずは地下に通される。ガガッガーン! シンセ、ミキサー、が雑然と置かれた空間は、まさにリハーサルスタジオ。そして内装は、北欧家具と云う私のイメージをさらに膨らます、木の世界だ。
「隣りを覗いてご覧!」と案内された部屋はサウナ。風呂ではなくサウナ。これが一番の楽しみと云う。そして又隣りの部屋は、温泉旅館にある卓球室と同じ。ガランとした部屋に卓球台がある。その卓球台はバーカウンターの役もする様で、ボトルが置いてある。リハーサルに疲れたらサウナにはいって、ここで飲む!
コペンハーゲンの録音で、私が胸ワクワクであったのは、ケニー・ドリューの一連の録音で有名になったヘンリック・ランドと仕事が出来る事。
この録音は、現地でマルチトラック録音され、日本でトラックダウンするというもので、そのベーシック録音をヘンリック・ランド、トラックダウンを私と云うプロジェクトである。
この手の録音の場合、通常はベーシック録音はお任せ、あるいは全く関知しないところで作業は進められる事が多いが、ベーシックの状態を知っていたほうがトラックダウンはやりやすい、そしてベーシック録音に私の意見を取り入れてもらったほうが自分のサウンドに仕上げやすい、との考えから、わざわざコペンハーゲンに向かったのである。ペデルセンの特別の計らいもあって、ヘンリック・ランドと仕事が出来る事になった。
さて、スタジオは、これも数々の名録音を残している有名なイージー・サウンド・スタジオ。
スタジオに一歩足を踏み入れて驚いた。天井はバカ高。だだっ広い空間に卓球台が二台。ムムムッ! スクリーンが、そしてステージが。ここは元映画館であったのだ。バッドマンの看板がそのまま放置してある。映写室がミキシングルームというわけ。
ヘンリックが、「さあ! 楽器配置はどうする?」と好意的に私に意見を求めた。「このアコースティックを十分に生かしたいので、パーカッションはここに置いて、ベースはここで、フルートは…」と、私は勝手な意見をポンポンと言う。
「いやあ、賛成出来ないね」ヘンリックは冷たい。「音は、回るしカブリも大きく、録音できないよ!」と言う。側にいたペデルセンも、「ピアニシモの時はいいが、フォルテになったら、グチャグチャになってしまうよ!」と言う。ペデルセンの指摘は実に的を得ていて、ギクッ! とする。フォルテでグチャグチャは何度か経験しているからだ。
知らないスタジオの場合、なんたってハウスエンジニアーの意見のほうが正しいわけで、「ここのオレがそう言ってるんだから」と言われると、何も返す言葉がないのだが、私は、この空間が物凄く気に入ったのと、カブリはどうにかなる、の勝算と、この空間のカブリこそ私のサウンドだと察したので、執拗に食い下がった。
じゃあ、やってみるか! で、スタジオのセッティングは始まった。その配置図とマイクロホンは図の通り。遮音衝立の表示は、実はマットレスで、こういう手もありか! と感心したもの。
ヘンリックは、パーカッションはブースに入れないと無理だという、その危惧は私にもわかる。わかった上での挑戦であるわけで、突然の協力体勢となったが、協力となると、いいアイディアが一杯飛び出す。マットレスもその一つだ。体育館にあるあのマットレスだ。どうして、ここに! と驚くが、これを遮音衝立として使うという体裁を考えない応用が凄く気に入った。
又一つ要求をぶっつける。アンビエンスのマイクロホンを用意して欲しいと頼む。ヘンリックは……? としている。又、あいつ変な事を言っているぞっ! これだけでも十分にスタジオのアコースティックは拾いそうなのに、さらにアンビエンス? 何を言っているんだい! と、けげんそうな顔つき。
ここは全く積極的ではない。欲しい! って言うから、用意するけど……。マイクロホンは何がいいって聞くので、B&Kがいいな! と答える。「どこがいい?」「あそこと、この辺で。」ヘンリックのやる気のなさはそのマイクロホンの置き方に表れる。ただマイクロホンを置いた! という感じで、ダラリと下を向いていたり、真横を向いて全く関係のない方向を向いている。無指向性だから、これでもいいと言えなくもないが、しかし、何か投げやりだ。
さて、ペデルセンのベースの録音には仕掛がある。リハーサルの時に、「ベースはね、この様にして、録音するんだよ」と教えてくれたもの。f字孔の所にU−47を2本配置する。そして、これが、ペデルセンのブラックボックスだが、特別仕立のボックスがあって、これからラインどりをする。あの独特のペデルセンのベースの音は、この秘密の箱から出てくるのだ。これを知っただけでも、コペンハーゲンまで行った甲斐があった。
本番にはいって、カブリはどうなったかというと、天井の高さと広さで音のヌケがよく、グチャグチャにはならなかった。ヘンリックは、お前のおかしな要求で、どうなるかと思ったけど、なんとかなるもんだね!
私の勝算は、ホール録音の経験がモノをいう。スタジオだけの経験のエンジニアーは、ことのほかカブリを気にするが、ホールは音がヌケる、を知っていればカブリは恐くない。
東京に持って帰ったマルチトラックのテープには、イージー・サウンド・スタジオのアンビエンスがたっぷりと詰まっていて、お陰でスタジオ録音にもかかわらずパーカッションの音のヌケがよく、しかも奥行感も出ている素晴らしいトラックダウンが出来た。アンビエンスのマイクロホンの効果抜群と云った所だ。この仕上がったCDはコーディネーターのニールス・ランドーキーが聞いていて、「こいつは、素晴らしいサウンドだ!」と言ってくれた。あの時執拗に要求した事を多分理解してくれたと思う。ヘンリック・ランドにもこのCDは送られているはず。どの様な評価をしたか、聞いてみたいものだ。
ここでも感じたのだが、東京のスタジオは贅沢だ。コンソールはSSLのGシリーズだが、エフェクター類とか、その他の設備は古い。スタジオ内だって映画館そのまま。それでもイージー・サウンド・スタジオからは一級のジャズが生まれている。余談を一つ。コペンハーゲンの道路には、自転車専用レーンがあり、みんなぶっ飛ばしている。だから、車を降りるとき自転車の存在に注意しないと、ドアーに激突! という事態も起こり得る。私も間一髪の経験をした。