[1990年1月 機関誌「音響」58号]

特集 90年代にかける夢

われら音響次代人「ザッ談会」

  出席者:小口 恵司(株式会社永田穂建築音響設計事務所) 
      田中 真吾(株式会社エイヴィティエス)
      浜田 純伸(株式会社ワンダーステーション)
      八卷  潔(松田通商株式会社)
  司 会:山海 僥太(日本音響家協会)


いよいよ21世紀へ向けて文化を橋渡しする20世紀の最終幕に入ります。日本ではニューリーダ一という言葉が一時、政治欄をにぎわしましたが、東欧諸国でも新しい社会をめざした改革が日ごとに進んでいます。この大きな時代の流れは、誰も止めることはできません。我々の音響界も、いまや内輪だけの世界から抜け出して、積極的に時代を作る集団にしていかなければならないと思います。そこで、今回は10年後に業界を動かしていると思われる世代に、音響界の現状をどのように見ているか、そして今後の展開をざっくばらんに語ってもらいました。本座談会を参考に、世代間の良好なコミュニケ一ションと先輩諸氏のよりよい後輩指導に、新年の思いを馳せていただければ幸いです。

 

ホ一ル設計は理論と試行錯誤の繰り返し

──それではまず、みなさんの仕事の現況と自分の仕事に対するポリシーをお聞きしたいのですが。

小口:私は建築音響とか騒音防止の方が専門で、今は専らホールの設計に携わっています。だから音響といっても、生の音を扱っています。自分ではクラシックが好きなので、コンサート専用のホ一ルが仕事になると力が入りますね。しかし分からないことだらけでね。建築音響の理論はありますけど、はっきり実証されているわけじゃないですから、いろいろ試行錯誤しながらやっています。もちろん理想は基本から入った方がいいんです。それでだいたいの形は決まりますけど。

浜田:最近、専用ホールが目立って建てられるようになってきましたが、依頼主からこんな音にして欲しいという要求はあるんですか。

小口:無理でない範囲で、漠然とした要求でしたらできるんですけど。例えばサントリーホールのあの席に座ったところの音にしてくれと言われてもできないですね、わかんないですから。

浜田:演奏し易いけど、聴いていて響きが気持ち悪いっていう場合とか、また逆に響きはいいけども演奏する側はやりにくいっていうことがあるでしょう。この演奏する側と聴く側のギャップは、どう考えるんですか。

小口:アメリカやヨーロッパではいいと言われているホールがありますよね。そこには必ずいつも演奏しているオーケストラがあるわけです。そしてそのホールの特性を知っていて、常にそこに合った鳴らし方をしているわけです。

──理論どおりにやっても必ずしも理想のホ一ルができるとは限らないですよね。それなら最初からそれを無視して好きなように造ってみたいとは思いませんか。

小口:それはやってみたいと思いますが、とても怖くてね。でもアメリカとかでは、そういうのもあるんですよ。そうなると評価は人によりけりですけど。

──建築家と建築音響家との仕事の分担はどうなっているんですか。

小口:アメリカなんかの場合は建築音響といえばコンサルタントで、ここはこうした方がいいとか、こう考えた方がいいとか言うだけですよ。建築家は建築意匠しかやらない。他には音響や照明、舞台機構のコンサルタントなどがそれぞれいるんですね。この前おもしろかったのは、パイプオルガンのコンサルタン卜がいたんですよ。作る人じゃなくてね。ちょっと不思議な気もしましたけど。

──向こうではやはり、ソフトウェアに対する価値が十分認められているんですね。

小口:そうですね。例えばコンサルタント料なんかは、日本に比べてひと桁違いますね。向こうでは建築工事費の10%が建築事務所に入ると、その1〜 3%がもらえるんですね。

 

音にこだわると日常の異常がみえた

──では次に放送分野で活躍の田中さんの場合はいかがですか。

田中:FM東京グループAVTSの田中です。FM東京の番組のミクサ一をしています。僕は、自分のやりたいことができるんじゃないかと思って、この業界に入ったんです。ところが音響といってもいろんなものがあって、それぞれの部分がものすごくクローズドなんですよね。たとえばレコーディングをやっている人がテレビの音響をやろうと思ってもできない、またテレビの人が映画の音響はできる環境にないですよね。僕は、若いうちは何でもやってみたいなと思ってきました。それでPAから始めてテレビの音響をやって、次に音だけのラジオの世界に入ったんです。僕は音に対するこだわりが強く、音そのものを何なんだろって思っちゃうんです。視覚って首を振らなきゃ見たいものは見られない。それに対して音っていうのは全包囲から、ある意味では無制限に飛び込んでくるわけですね。人はこの肉体的接触がない空気振動によって動かされちゃっている。この不思議さって何なんだろうって思うんです。みなさんも、音に対するこだわりってあるでしよう。

例えば、駅でベルを鳴らすこととか、鳥の声を流すこととか、環境音が気になってみたり。ほんとうは環境がひどいところなのに、みんなはいい気持ちになりますっていって、地下道とかの空気も悪く、騒音も大きい空間の中で鳥の声を流す。確かにそれは積極的な取り組みだとは思うけど、でも鳥の声を流す設備にお金をかけるんなら、掃除をするとかまずやらなければならないことがあると思うのね。それらをやりながら鳥の声を流すなら分かるけど。人間はいい環境の中で鳥の声を聞いたから、鳥の声がするところはいい環境なんだって錯覚をしてね。

浜田:横浜博で感じたことなんですが、そこではサウンドデザインも考えられていて会場内の放送やBGMをなくしたんですね。ところが、僕が行った日は曇りで風が凄かったんで、海辺の方ではバタバタ旗がはためいて、場内ではその音しか聞こえない。基本的にこういったアクティブな制御をしようと思うと、どうしても過剰な方向に走るって傾向がありますね。やはり博覧会には博覧会のイメージってあると思うんです、人がいっぱいいるとか。そういう意味で、環境音は難しいなって思いました。新宿駅、渋谷駅のベルに代わる音楽にしても違和感がありますしね。

小口:僕は思うんですけど、音が多過ぎるんですよ。劇場っていうのは日常から離れてあるものなんですが、逆に毎日そこにいたらそれでいいんだと思っちゃうでしょ、それに慣らされてしまってね。駅でも、あれだけ電車が入って、騒音もあって。そんなところに鳥は来ないと思うし、鳥の鳴き声なんかはあるはずがないし。それでも流してしまうと、確かにいい気持ちはするかも知れないけど、それはある意味では不自然になってしまう。不自然な部分があっていいけど、常にそれに囲まれちゃうと人間の感覚も変わってきちゃうから、それはおかしなことになるよね。

 

生とイメージにはさまれる音家

浜田:ワンダーステーションの浜田です。社長が久石譲という作曲家のスタジオなので、単なるレコーディングだけでなく、制作的なこともやっています。さて今みんなが耳にしているオ一ケス卜ラの音は、ほとんどがシンセでできちゃってるんですね。そこで我々レコ一ディングエンジニアは、生音から来るイメージ、音像を作って提示するわけです。クラシックの場合、生楽器がホールにあって、そのホールのイメージをエンジニアがひとつのテープに固定します。その固定されたものか らリスナーはそのイメージに戻るっていう、レコーディング時は逆方向の動作をしている。ところが今のポップミュージックに関して言えば、そのもとがないわけです。

その根本がない以上、それはミクサ一と作曲家とアレンジャーが勝手にでっちあげた音空間なんです。そこからリスナーにこういうものを想像させようということで。このでっちあげることが、今までのエンジニアの地位を築いてきた。如何にそれらしくできるかが、レコ一ディングエンジニアに求められてきた部分なんです。僕自身、それって虚しいと思うときもあるし、はっきりとは分からないんだけど、今レコード芸術そのものがそんな風になりつつあるっていう現状は事実ですね。それが善い悪いっていうのは分からないけど。

──私は、きちんとしたイメ 一ジがあってそれを作ったのであれば、現実にない音とかは関係なく積極的に作ればいいと思いますけど。

浜田:逆に怖いですね。生音を知っている者は作っている側の一部にしかいなくても、一般の人はそれを擬似体験できる。いろんなハ一ド機器にしても、知っているのは設計製作者の一部だけで、多くのユーザは彼等に騙されているかもしれない。技術の進歩は、どんどんそういう方向に向かっているんじゃないかっていう一種の恐れがあるんですよね。もちろん我々は生音を知らないと作れないし、それは求められることなんですけど、リスナーはそれが必要条件とはされていない。音楽を聴くだけならイメージだけて聴けるわけで、それはこれ風の音、あれ風の音でいいんです。その実態というのはない。それでもやっていける現状っていうのが怖いんですね。それがおもしろいっていう捉え方もあるでしょうけど。

田中:メディアが発達する前、録音物が存在する前に戻っちゃえば、楽器の音というのは、まず楽器の生音を学ぶわけですね。だから楽器の良い悪いっていうのも小さい頃から育ってきたメジャ一で計っている。今の人はコン卜ラバスならコントラバスの生音を聞く前に、テレビのスピ一力を通したコン卜ラバスの音を聞く。ある効果さんに聞いた例なんですけど、某メーカのCMに出てくるバイクの音を入れた時、「私の商品のCMに出てくるバイクはこの車種でないとだめだ」っていうんですね。それで、その効果さんはわざわざそのバイクの音を録って来たんです。そして、まず自分でも満足なハイファイで録った音を聞かせたところ、スポンサーは一言で違うと言ったんですね。それで、ガンマイクでボンと録った方の音を聞かせたらそれだと。つまり、指定車種の音を原音に忠実に録ったはずなのに、スポンサ一のイメージは原音に忠実な音とか関係なくて、その商品に合った音とは、いつもテレビで聞いていた音だったのですね。だからクラシック音楽にしろ、何にしろ、全て同じだと思うんです。

浜田:例えばブラックボックスを考えます。入力に関してはアコ一スティックだとして、それがブラックボックスの中を通って、そこで変わったものとして出てきた音をリスナーが聞いて、またもとの音を想像する。ところが今、シンセサイザになっちゃうと入力源がないんですよ。ダイレク卜に作曲家の頭の中に鳴ってる音が、コンピュータに入って出力されてくる。そこでリスナーがイメージするのは、やはり生音の音場なんですよね。

田中:僕はテレビから出ている音も、シンセサイザと同じ電気音響じゃないかと思うんです。だから音をマイクで録るときに、ハイファイの定義はいろいろあると思うんですが、生音を収録してしまった時点でそれはもうハイファイではない。生
のものをテレビ中継であれ何であれ、そこからちょっと離れたところで聞けば、もう情報がどっか欠落してしまう。その欠落した情報は何らかの方法で補ってやらないと、真実に近づかない。このちょっと補ってやるという部分がある意味では演
出であろうし、イコライジングであろうし、ミクシングであろうということですね。つまり、一旦、誰かがかかわってしまえば、そこでもう情報っていうのは変わっちゃうんだから、まず変わるっていうことを認識した方が賢いんじゃないかと思ったんですよ。

──そういう認識っていうのは大事だと思います。ハ一ドが介在すれば、必ずもとの情報は変化してしまう。そこで我々はハ一ドに、このような変化がない性能を求めるだけじゃなくて、ハ一ドをもっと積極的に利用することを考えるべきではないかと思うんですね。そのためにもまず、何を伝えるかという情報のイメージをしっかリと捉えることこそ第一に考えたいですね。

 

メーカとユーザの理想的な関係

──さて、ハード供給の立場にある八巻さん、どうでしょう。

八卷:松田通商の八巻です。主に海外音響製品の輸入販売をやっています。私自身はPAマ一ケットとしてのホ一ルなどを回っています。私の立場の人間にとっては、使っていただいている商品を十分に活用してもらって、皆さんがいいものを作ってくださること自体がとてもうれしいことなんです。それだけに、ただ単に売るんじゃなくて、使われている状況まで責任を持ちたいです。いい加減なものだったら、いい加減なものしかできませんから。自分でやらないだけに、実際どんな使われ方をしてどんな音が出されて、それを聴いている人たちはどう思っているんだろうっていうことは非常に気になります。例えば、ひとつの製品があって、噂よりもたいしたことはないじゃないかって言われることもありますけど、やはり同じものでも噂以上に凄い音が出ていたって言ってもらったときは、自分自身でもうれしいし、また責任も感じますね。

──商品の開発思想とは違った使われ方をして新しい効果を発見することもあるって、よくメーカの人から聞きますが、ユーザの求めるものを作っていくだけじゃなくて、もっとこんなことができますっていうユーザのイメージを刺激するような製品ってありますか。

八卷:それができればいいとは思うんですが、なかなか現状ではそこまでいってないんじゃないでしょうか。やはり後手後手になってしまっている。メーカでは、まずある目的のためにものが作られます。それがユーザの手に渡っていろいろフィードバックされ、また新しい形がどんどん出来てくるということじゃないでしょうか。

小口:メーカの設計の段階では現場の意見はどの程度フィ一ドバックされているんでしょうか。

八卷:それはメーカによってもかなり異なると思います。先日、海外のメーカに行っていたんですが、向こうではメーカの人間か現場の人間かちょっと分からないような人も結構いるんです。実際に設計しているところで、髮なんかも振り乱して図面をひいているかと思えば、コンサートの現場に行くとその人がいきなりオペレータをやっているとかね。そうかと思えば、あくまで私はメーカの者だという感じの人もいて、極端に分かれているように思うんです。

浜田:アメリカのジョ一ジ・マッセンバーグも、アース・ウィンド・アンド・フアイヤーなんかのサウンドを担当してて、リバーブやエフェクタを自分たちで作ってしまう。また、それが商売になっているんですね。彼は今も現役のレコーディングエンジニアなんですよ。そういう人たちが向こうには存在するのに、日本にはいない。場がないっていうか、そういう人がいても商売にまではならない。

小口:今あるものを組み合わせて使って、それで実はこんなものが欲しいんだってメーカに言うことはないんですか。

浜田:大きなスタジオではよくやっているようですし、PAの会社ではかなり積極的に自社開発に取り組んでいるところもあります。こういったガレ一ジメーカが実は理想的かもしれませんね。向こうの製品ってよく半端なものが出たりしますよね。それは、ユーザの反応をみながら変えていってひとつのものをつくっていきましようっていう考え方で、出しているところがあると思うんです。フェアライトもそうなんですが、ニューバージョンが出ても全然使えなくって、それでどんどん直して完成した頃には、最初と全く違うものになっているみたいなものですね。向こうのメーカは平気でそういうことをやってくるんですが、日本のメ一力って絶対そんなことはありませんよね。常に完全な形で出てくる。ユーザにしてみれば、こういう使い方をしてみたいと思っても、出来上がっているもんだからもういじれない。自由度が少ないんですね。

 

プロのあるべき姿勢とは

田中:規格に個人を合わせていかなければならないってことがありますよね。昨年アメリカの放送局を見学したんですが、テレビって副調整室があって、ディレクタがいて、タイムキーパがいて、照明、音響がいますね。日本の場合みんなぶち抜きの同じ部屋にいますから、そこで音響がミクシングをしようと思ってがんがん音をあげると、当然ほかの人たちの邪魔になります。だからみんなそこそこのレベルでそこそこにやって、それが当たり前と思っている。その世界では、先輩諸氏がプロとしてこうやってきたんだから、お前もそれでやれなきゃプロじゃないって言われるんです。ところが向こうでは、音響のためにワンブースあって、もうひとつのブースにディレクタとか他の人がいる。音響は完全に隔離され、雑音はお互いに入って来ないようになっています。

お互いのコミュニケ一ションはインターホンで0K、音響は音をちゃんと作るのが仕事なんだから、まずその作業ができる環境を提供しています。でも、機材は日本よりも悪かったですけどね。効果さんはオープンテープじゃなく今でも8トラの力一卜リッジを使っていました。F特なんかもいいわけない。それでもその中でちゃんとしたものを作り上げるんです。日本の場合は、悪い環境で機器の性能だけが上がっている。

小口:そうですね。向こうの人はそれぞれ専門の人に仕事を任している。環境もきちんと整えて。

浜田:今、コンソールが巨大化しているっていうのは、片方でミクサ一が録って、片方でプロデューサがモニタ一バランスを取ることもあるからだと思うんですが、これもテレビで音声と照明を分けているのと同じだと思います。ミクサ一は録ることに集中していい音を確保する。その間のモニタ一はプロデューサがやる。ミックスはお互いの合議でやる。このときは、ミクサ一が全部やる場合もあるし、ミュージシャン自身がずっとこもってひとりでやる人もいますが、それは自分がどこまでやるかということをお互いに理解しているんでしようね。

田中:ブロデュ一サがミクシングに手を出す場合、手を出すくらいだから、そのプロデュ一サはミクサ一と同等の技術をもっているか、または何かキャラクタがあると思うんですよ。ところが日本ではプロが育ってないっていうか、プロを大事にするっていう環境もない。例えば、新しい機材なんかもメーカでデモ機を用意して、有名無名に関係なくいろんな人に使ってもらい、意見を聞くっていうのが理想ですよね。ところが有名な人の所にだけ熨斗つけて持って行って、まずメディアに乗っけちゃう。

八巻:同じ目的、性能のAとBの製品があったとき、Aの方を有名な人が使っていると、Aが売れてBが売れないっていうことはあります。大御所の意見に流されるみたいなことですね。中には、ひとが何と言おうと自分はこうやるんだって試行錯誤しながらやっている方もいらっしゃいます。そういう人が出す音は、やはり、何かちょっと違うっていうか、訴えかけてくるものがありますよね。姿勢が音にも現れてくるっていう感じです。大御所のやっていることを自分でも確かめて、いいと思ってやるんであればいいのですが、ただその人のやっていることを真似すればいいんじゃないか、その通りやればいい音が出てると思い込んでいる方もいらっしゃるように思いますね。

浜田:そっちの方が大きいかもしれません。スタジオでスピーカにティッシュを貼るっていうのも、何か単に流行りのような気もするんですけど。例えば向こうの人は、このスピーカは特性は悪いけど自分はこれが好きだ、こっちは嫌いだって、スペック上の問題は関係なくはっきり言うことがよくあります。日本人は、あまりそんなことは言わないですよね。こっちもいいけどあれもいいみたいに曖昧な返事をする癖がありますが、これがネックになっていると思いますね。ホ一ルにしても、私はこのホ一ルの音は嫌いだからここではやらないとか、逆にここでしかやらないって言う演奏家がいてもいいと思うんです。みんながはっきり好き嫌いを言って、それをまた冷静に判断していけばいいんですよ。でも今、そんなはっきりものを言ったら、あいつは何だって言われてその人の全人格まで批判されかねないですからね。そうじゃなくて、音楽の善し悪しは結局みんな主観ですから、主観で話せる場、なぜ嫌いなのかを冷静に話せる場、もっと自由に話せる場が欲しいですね。

今、私の仲間がみんなそれぞれポリシ一のあるスタジオを作りたいって言っているんです。でも現実には商売を考えると、コンソールもデジタルマルチもスピーカもある程度決まってしまい、それ以外のものを入れると異端視されてしまう。

 

もっと素直な気持ちで取り組める環境を

──スタジオの売り物は音であって機材じゃないっていうのを徹底すればいいんですよ。調整室には一切機材がなく、みんなソファに座ってモニタしている音楽の議論に熱中していて、ミクサ一だけが片手でちょこちょこリモコンみたいなのを操作
しているっていうイメージですね。

浜田:そうですよね。最終的な音を聴いて、これはどのコンソールを使っているとか、どのマルチを使ったとか分かる人はいませんしね。またアナログレコ一ドだ、CDだ、DATと言ったって中身には関係ない。アナログレコ一ドは50kHzまで伸び
てるからいいんだって、デジタルマスタリングの音を聴いていう人も現実にいたりする。何か、ものの評価の基準が違うんじゃないかって思いますね。

田中:僕はみんなが言う良い音楽って、CDでもレードでも、とにかく自分のイメージに一番近い音で聴かせてくれるものがいいんじゃないかと思います。

──じゃ、いいものを聴いてないとその基準が狂ってしまいますね。

田中:そうですね。いいものを見つけて聴いて、自分に染みこませることが大事でしょうね。

──ところで、いいものって何でしょう。

田中:それはいろいろなシーンで違うと思うんですが、いいものはひとつじゃなくなりますよ。だけど、ひとつの方向性や、クオリティの差は必ずあると思うんです。

——では、一人ひとりが自分でいいと思うものを追求できる環境を作っていくことですね。

小口:そうですね、作る側は。

浜田:まず、そういう意識をみんながもつことが必要なんじゃないですか。

田中:それは、みんな持っていると思うんです。だから、次の実行の段階へ、自分のポジションの中で前向きに動き始める時だと思いますね。そういう人たちが徐々に集まって、お互いに勉強し合って大きくなればいいんです。もっとノウハウを公開して、お互いにより磨きをかけようっていう雰囲気が欲しいですよね。

八巻:私は、いい音で音楽の聴ける場所を作りたいんです。最近、ジャズ喫茶も少なくなりましたしね。

浜田:そういえば、ホールはたくさんできましたけど、何かデートコースみたいな感じになっていますよね。サン卜リーホ一ルにしても、オーチャードホールにしても。確かに音楽が好きで行く人はいますが、ファッションで行く人も多いように思いますしね。今レコードが売れないっていうのも、レコードを買って家で一人で聴くんじゃなく、レンタルレコ一ドを借りて作ったテープを、車の中で女の子と聴くのがファッションだからなのですね。

小口 : 私は、自由にいじれるホ一ルを作ってみたいです。一度作って、壊して
また作る。もちろんお金がないとできないですけどね、そんなのができたらおもしろい。とにかく、分からないことがいっぱいありますから。

——ホ一ルはいくら模型で確かめても、実際できてみないと分かりませんからね。

小口:そうなんですよ。だから欲しいのは10分の1模型じゃなくて実物大模型なんです。

田中:私は、常にいい音を提供できるように、気持ちのいい音って何なのかを知りたい。BGMレベルにしたって、その音楽や内容によってフェ一ダを下げるタイミングからそのレベルまでみんな違うんです。とにかく、いい音をまず追及して、それを実現できる環境を作っていきたいですね。■

 

話は途切れることなく続きました。ここで改めて、みんなの中に「音響」を純粋に考えようとする気持ちが、しっかり存在していることを確信しました。しかし、日常の職場では音響の本質について語ることがタブ一という雰囲気があり、また音響といっても自分の狭い範囲でしか接触がなく、これが新たな発想を抑制してしまっている現状があるようにも思われます。ここに出た話は、この世代を代表するひとつの意見として受け止め、それこそ世代を越えてみんなで考えていきたいと思います。
「夢のある世界にこそ、未来がある」 さて、この続きは是非、みなさんのまわりで展開してみてください。 (文責:山海僥太)