[1986年4月 機関誌「音響」43号]

特集 騒音と音表現
〜公共ホールの音圧規制問題〜


1986年に公共ホールで開催されるコンサートの音圧を規制するという問題が持ちあがった。日本音響家協会は、この件について広く意見交換をして、規制反対の動きとなった。このような問題に是々非々で臨むのが日本音響家協会なのである。

  

音圧規制を機に音響に対する認識を深めたい

何年か前、ある劇場に唐十郎の芝居を観に行ったときのことである。客席の明かりが消え、ざわめきの中に突然、耳をつんざくような騒音が鳴りはじめた。やがて舞台が明るくなると、そこはパチンコ屋の店内で、その騒音はパチンコ屋のそれと知る、そんなオープニングであった。
いきなり大音圧にさらされた僕は、始めはただとまどい、驚いただけだったが、舞台が終わりに近づくにつれ、その「騒音」がその芝居全体を象徴していたことに気がついた。客席を圧倒する大音圧の「騒音」は、実は舞台の上でうごめくエネ
ルギ一と猥雑さを象徴したメッセージだったのである。

騒音とは何かと考えることは、音響家にとって無関係であるようでいて、逆に騒音以外の音、日頃われわれが扱っている音が何なのかを浮かび上がらせる。同じピアノの音が、ある人にとっては子供の成長を伝える心地よい響きに聞こえ、別の人には、殺人までも引き起こすほどの神経を逆なでする音に聞こえるという事実は、音のもつ本来的な多面性を物語っているが、また、この多面性を持つ「音」に対していつも何らかの意味を探らざるを得ない人間の業を思ってしまう。

「音」を騒音とそれ以外とに区別するのはもちろん人間である。「音」の中に有意義なメッセ一ジを認めたとき、それは人間にとって心地よい音、耳を傾けるに値する音となり、何ら意味を認められないとき、あるいはそのメッセージが不快なものであるとき、それは騒音になる。

舞台関係者の難聴問題に端を発したという公共ホールの音圧規制問題。確かに難聴に関する問題提起は傾聴に値する。何が本当に難聴の原因なのか、どこまでが安全なのか、正確に知る必要がある。しかし、そこに述べられた規制値を見る限り、表現としての音響は言うに及ばず、純粋に技術的な見地からの音響についてすら、どこまで真剣に討議されたのかと首を傾けたくなる。いや、何よりも残念なのは、その地域の文化的な拠点となるべき公共ホ一ルを預かる人々が、いとも安易に規制という手段に訴えたことに、この国の文化を支える人々の「音響」に対する認識の 浅さ、精神の貧しさを見るように思えることである。

いうまでもなく、表現者にとって、外界に敏感に反応し、アピ一ルする自由な精神、しなやかな感性は不可欠なものである。本来、多面性を持つ「音」の中に独自の意味を聞きとり、あるいはメッセージを託す音響家にとって、「音」に対して開かれた心、耳を失ったとき、「音」を思いのままに操作できる自由を奪われたとき、それは表現者としては致命的な精神の硬直化、想像力の枯渇につながる。いわんや、自分達が扱う「音」を騒音と同列に論じることなどできるものではない。

この音響誌でも、むやみに大音圧に走る最近のSRの現状に対して、これまでも疑問を投げかけてきた。しかし、これはあくまで「表現」としての適否についての議論である。
むしろそれは、規制をするという発想とは相容れないものである。今日の音圧規制問題を、その規制値の是非を問うだけに留めてはならない。
ジャンルごとの必要な音圧レベル、難聴の問題、SRの現状、あるいはコンサ一卜のあり方、音楽論と様々な角度から議論を重ねていく必要がある。

この音圧規制という不幸な事態が、音響について認識を深めるための機会に転じることを願いたい。(出版•編集委員会)

 

11OdB規制問題シンポジウム報告会

主催:日本音響家協会東京支部
日時:昭和60年7月22日
場所:中野サンプラザ会議室

まず、110dB規制のことを良く知らない方のために、公文協(全国公立文化施設協議会)第39号の記事を誌上に再録しておきましょう。

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公立文化施設における音圧規制について(通知)
 このことについて、数年来ロックコンサ一卜をはじめとして各種の音楽演奏が高音圧化し、職員の健康上はもとより聴衆の方々にも聴力障害をきたす危険が、ままみられる現状となっております。このことを憂えて全国公立文化施設協議会においては、技術委員会で聖マリアンナ医科大学に職員の聴力検査を依頼し、その結果昨
年の札幌大会において職員の健康上の問題からこの点を討議しました。さらに、本年の熊本大会においては熊本大学医学部衛生学教室宮北先生、日本PA技術者協議会堀江理事長を特別助言者として招き、その討議の結果、当分の間音圧レベルについて最高110dBAとすることを申し合せ、細部については技術委員会が詰めることとしました。その結果、次のとおり決定しましたので通知いたします。
                記
ホール内における音圧レベルを当分の間次のとおり規制する。

1最高音圧レベル110dBA (2時間演奏10分以内) 等価騒音(平均音圧レベル)90dBA

2音圧測定の場所
(1)スピーカ一より5mの位置
(2) A 、 B  2つのスピーカの音の合致する位置

3、測定用機器について
 騒音計を保有する館においてはその機器で、保有しない館においては必要に応じて公害局、保健所等の協力を得て測定して下さい。
 なお、この規制の実現には、各種関係団体や公演者の協力が必要ですので、この方面へのご協力の要請も併せていたしますが、会員間の情報交換も今後一層必要と思われますので、なにとぞよろしくご協力いただき、この規制の実現にむけて今後一層のご努力をお願いいたします。
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シンポジウム開催への経緯

第39号の記事から現在まで、約1年が経過していますが、その間、110dB規制問題の現場への影響の声がいろいろ聞こえて参りました。それらの影響を考察すると、問題は音圧だけのことではなく音楽表現の問題にもかかわるし、また、音質との兼ね合いも大変重要なのではないかとの日本音響家協会の内部意見が高まり、今回のシンポジウムの開催となったわけです。

パネラーは次のとおりです。文中は敬称を略しています。
 公立文化施設協議会:中山宏道
 ヒビノ電気音響:宮本 宰
 オープンロード:堀田恭司
 ジャズ評論家:悠 雅彦
 日本音楽家ユニオン:沢井原児
 日本音響家協会:川崎克己

各氏の発言要旨
以下、発言順に内容を要約してお伝えします。

中山:この問題は、ご承知のように、昭和58年度公立文化施設協議会札幌大会で、職員27名を聴力検査したところ、12名に難聴症状が見られたという聖マリアンナ医科大学の検査報告に端を発し、その後、秋田でコンサート中に観客が聴力障害から倒れるという事態の報告もあり、翌59年熊本大会で熊本大学医学部公衆衛生学教室宮北先生のご指導をいただき、110dBA規制の通知という形になりました。このとき、各国の騒音規制値も参考にいたしました。カナダ115dB、ノルウエー105dB、スイス130dB、等価音圧ではオ一ス卜ラリア90dB、(5年以内に85dBまで下げる)、カナダ85〜90dB、デンマークが1985年以降80dBといったところです。60年岡山大会では、追跡報告として、最高音圧110dBのときには、等価音圧95dBぐらいになってしまい、現在の規制値は、最高音圧と等価音圧との関係から見ると、問題があるのではないかとの発言があり、現在見直しを行っているところです。

堀田:サウンドサービスの立場としては、要求されれば、ある程度の音圧は出さねばならない。その辺は、むしろ、プロデューサとかディレクタあるいは、ミュージシャン側の問題の方が大きいのではないか、会館側との板ばさみになることを考えると、いっそのことロックに貸さないと言ってくれた方が、話が簡単なような気がする。

宮本:専用居住地域での野外コンサート(例えば横浜球場)などでは、騒音防止条例の適用が求められるけれども、今年あたりは、かなりその点についてうるさく、事前にシミュレーションを要求されて報告書を提出したりしているが、そうしたことを我々が負担する義務があるのか疑問に思う。

川崎:この110dBという規制は、全くロックファンを理解していない。極端な言い方をすれば、難聴になりたくない人は来なければいいんですね。規制といえば、立ってはいけないとか、そういう管理上のことが多く、ある種の文化の規制という感じがして、そうなら闘わざるを得ないという気がする。

悠:ここまでの話で現場の人には、それなりの苦労があるんだなとは思いましたが、とりあえず、言いたいことを言ってしまいましょう。まず、言いたいことは、この頃、ほとんどの演奏会に、行きたくなくなってきてしまったということです。10のうち7つか8つは音圧が高すぎる。それも、ロックじゃなくて、フュージョン、ポピュラーなどでの話です。もう一つ言いたいのは、音質が良くないということ、音楽なんだから是非共、音圧、音質両面から追求して欲しい。

 

音質と音圧の問題

この後、「生のオーケストラは多分120dB以上の音圧だろうけれど、決してうるさくもなければ、耳鳴りが残ることもない。音質と音圧というのは、かなり関連するのではないだろうか。しかし、ロックなどではわざわざ耳につく音を求める場合もあるし、好みもあるので、音質はたいへん難しい問題だ(堀田)」「アコースティックなホ一ルでのSRテクニックはそれなりに追求されて良い(悠)」などの意見があった。
参加者との意見交換が行われるうち、ホールの音響技術者は業者が入ってしまえば直接SRにタッチするわけではないし、音響室に入ってしまうので、難聴症状はむしろ大道具や照明の人に多いという、意外な方向に話は進みました。そして、メインスピーカだけでなく、ステージモニタの音質や、はね返りによる時間差の問題なども出てきましたが、いずれにしろ、ある程度の規制は必要ではないかというのが公文協の姿勢のようでした。
ここで悠氏からメインスピーカの位置は、あそこでないといけないのかとの発言。それに対して宮本氏から、吊り下げる方式もやってみて、確かに効果はあるものの、現状では、資材や手間がかかりすぎて、商売的に成り立たない旨の答えがありましたが、会場の雰囲気としては、なるほどそういう問題もあるのだなあ、もっと追求されて良い部分だという感じがあり、事実会場から、会館側も吊り下げのための考慮をすべきではないかという発言がありました。
次に、会場から音質と音圧もさることながら、ある特定の周波数を聞き続けることの害はどうかとの発言があり、バランスも非常に大事であるとの認識が皆の間でなされました。

 

パネラーから最後に一言

沢井:規制には原則として反対します。

堀田:規制には反対。ミキサ一の責任だけでなく音楽を作る側の姿勢も問題だと思う。

宮本:耳のために良くないという医学的見地からの話と、不快感という二つの要素が一緒に論議されている気がする。指導は必要かもしれないが、規制は問題。音圧と音質の関連は、今後の課題にしたいと思います。

川崎:音圧は表現とのかかわりにおいて重要なのであって、絶対に規制などして欲しくないですね。

悠:とにかく良い音で音楽を聞きたいということです。それに、大きな音だけでなく、ピアニシモの音の良さをも、合わせて追求して欲しい。私も規制するということそのものには反対します。

 以上のように、今回のシンポジウムでは、音圧と音質の関係、規制と表現の自由について主として討議されましたが、その他SR自体の方法論などは今後も続けて検討して欲しい事柄もあります。医学的見地云々の発言など、全くそのとおりだと思いました。
 また、各国の規制値は産業騒音の規制値である由。そのあたりにも問題はありそうでした。

 

その後の音圧規制問題はどうなったか

その後、公文協で委員会が開催され、その場で「北海道でのコンサート事故の際に当局に呼ばれ、ロックは麻薬であると決めつけられたが、当時の文部大臣がロックの愛好家であったのでケリが付いた。音圧規制が音楽に対してそのような見方をするものならば問題である。ロックを理解して、若者から音楽を取り上げないでほしい」と発言があった。
若者の文化を公共ホールでやるかどうかが問題なのである。むやみに大音量を出さない音響家ほど、規制という言葉に敏感なのである。■